top of page

Trailhead
Onsen

登山口の

温泉スポット

小谷温泉

小谷温泉

山田旅館

prof.jpg

山田旅館の現当主、山田誠司さん

INTERVIEW

小谷温泉山田旅館

第21代目当主 山田誠司さん

江戸時代から続く小谷温泉。江戸時代建築の建物がそのまま使われており、一部は国の重要文化財に指定されています。第21代目当主の山田誠司さんは、アルペンスキー競技やジャンプ競技、テレマークスキーなどで活躍したスキーヤーです。親から子へと引き継がれる旅館の歴史には、山やスキーとの関わりが秘められていました。

スキー場として栄えた小谷温泉

ph01.jpg

山田旅館の資料館。昔のスキーや生活道具が保管されている

 祖父は、この辺りで真っ先にスキーを導入したハイカラな人間でした。父もスキーをやっていて、僕も2、3歳の頃にはスキーを履いて、庭で遊んでいました。旅館の前の坂を上り下りしながら滑っていたという感じで、生活の一部のように覚えましたね。  この旅館のすぐ裏側の山をスキー場として使っていまして、小学生くらいになると、スキーに来るお客様が増えてきました。雪を踏みしめてゲレンデを広げながら滑るという、本当に昔ながらのスタイルのスキー場です。小学生だと体力もついてきますので、お客さんの先頭を切って、ゲレンデづくりをしました(笑)。

 祖父は、スキーや観光の先進地として妙高高原に憧れを抱いていたようです。でも、僕は子どもの頃は妙高どころか県外でもスキーをしたことがなく、リフトにも乗ったことがありませんでした。親父に連れられて大渚山とか鎌池とか、今でいうバックカントリーに連れて行ってもらったのは、いまだに覚えていますね。

そのうち小谷温泉もスキーに適した場所だということが知れ渡り、大学山岳部の練習場として使われるようになりました。その頃のスキーは、雪山の縦走に使われる道具でした。ゲレンデは練習で、本番は山の縦走なんです。小谷から出発して、糸魚川や妙高高原の方へ抜けたり、当然逆もありますけど、その頃はそういうスキーが行なわれていました。
それで山に詳しい地元の人間が、都会から来たスキーヤーをご案内するんですけど、地元の住民はスキーを持ってないかったり、スキーが上手く滑れるわけじゃないので、かんじきで行くんです(笑)。峠までは一緒に登るんですが、下りはスキーについていけないので、峠で「あっちの方向へ行くと妙高ですよ」っていう案内をして、そこで別れる。そんなことを、地元の山に詳しい人たちはしていたようです。

ph02.jpg

かつての小谷温泉を偲ばせる貴重な写真の数々

ph03.jpg

昔のパンフレットや新聞記事も保存

テレマークスキーがきっかけで山をライフワークに

ph04.jpg

頸城をフィールドに山スキーを楽しむと語る誠司さん

 初めて雨飾山に登ったのは小学校6年生でした。姉が学校行事で雨飾山に行くっていうんで、「お前も行くか」と誘われました。庭で遊んでいたのですが、そのまま運動靴でついていって。水も弁当も持たないので、たぶん周りのお兄さんやお姉さんから分けてもらったのではないかと思います(笑)。

 でも登山の思い出はそれくらいです。その後はスキーに没頭し、全ての時間をスキーに使っていました。でも、スキーレジャーに陰りが出始めて、僕自身も、スキー場での仕事が一生の仕事として考えていなかった部分もあり、そろそろ家に帰るタイミングかなと。ちょうど25、26歳の頃です。
その頃に、テレマークスキーに出会い、何か新しい匂いを感じて、急激に入れ込み始めたんです。「なんかやっと自由なことができる」みたいな感じでした。それまで、スキーの組織のなかで役割を果たさなきゃっていう思いがあったのですが、ここからは自分なりのスキーへの関わり方をしていこうと思いました。

 当時、テレマークスキーを日本でやっていた人たちは、ほとんどが山ヤさんなんですね。なので、テレマークスキーの仲間から、自然と山の情報や知識が入ってきました。山のガイド資格を取ったのも、その頃です。
 ちょうど、最初の百名山ブームがきて、雨飾山の案内人もやることになりました。必然的に登山道整備やレスキューにも携わり、だんだん雨飾山への意識が強くなっていって、山に関わることがライフワークになっていったんです。

今、雨飾山の登山道整備は、新潟県と長野県の県境稜線はほとんどやっています。テントを持って登り、山中で1泊することもあります。
雨飾山の「女神の横顔」って知っていますか? 雨飾山の山頂から登山道を見下ろすと、その線が女性の横顔の形になっていて、それが今、話題になっているんです。で、僕らが登山道の両側の草刈りをすると、女神が少し小顔になるんですよ。だから僕らは自分たちのことを「女神のエステティシャン」なんて言っています(笑)。

ph05.jpg

頸城五山トレイル西端の雨飾山

憧憬と冒険の頚城山塊

ph06.jpg

美しい円錐形の火打山。冬は雪にすっぽりと埋まる

小谷村には、中部山岳国立公園と、妙高戸隠連山国立公園の二つの国立公園があるんです。中部山岳のほうは栂池高原など冬中心の観光業ですが、小谷は妙高戸隠連山のほうで、どちらかというとグリーンシーズンが観光業の中心です。
もともと、その二つのエリアは、なんとなく生活のスタイルが違っていました。昔は、小谷温泉の最寄り駅は妙高田口駅だったんですよね。大糸線の大町駅が終点だった頃は、大町駅が最寄り駅です。どちらとも歩いて3時間以上 (笑)。妙高というのは一つの街道で、うちからしてみるとメイン道路のひとつですね。

 小谷は妙高・火打山塊のほうに広がる可能性を秘めている。とくに、火打山はどこから見ても真っ白な山。綺麗な三角の円錐形に見える山で、あの雪の多い山はどこだろうって、スキーや雪山が好きな人だったら、けっこう憧れる景色なんですよね。健脚ならアプローチできるエリアなので、個人的にはそこをいちばん楽しみたいと思っています。今は、山スキーで、一人でルート開拓をしながら行くことが多いです。ワクワクするような発見や刺激が欲しいというのもありますが、「ここならお客さんをご案内できるかな」などと下見にもなります。

 山を越えて新潟県側に抜けると、新鮮なお魚を食べて帰ってこられるのもいいですね。山から下りたら、スキー靴を脱いでお寿司を食べようみたいな、今はそんな楽しみ方です。
登山ってやっぱり往復よりも、別の場所に抜けたいですよね。そこには違う文化や食べ物がある。もちろん、お客様には小谷に2泊してもらいたいですけど(笑)、登山はちょっと広い面で楽しめるといいと思いますね。

ph07.jpg

登山口とは違う場所へ山を抜ける縦走は、登山の醍醐味のひとつ

登録有形文化財の旅館。触れて、生活できるのが魅力

ph08.jpg

山肌にへばりつくように建つ山田旅館

 跡継ぎだと言われて育ったこともあって、若いころは、旅館を継ぐことが当然だと思っていました。周りも自分もそう思っていて、悩まなくてもいいのかなと悩んだくらいですが(笑)、何をしても旅館のほうに考えが繋がっていってしまうんです。
 旅館の仕事は、衣食住すべてを扱います。都会と違って、自然の中の離れ小島ですから、何かが壊れても自分たちで修繕したほうが早いですし。いちばん大変なのは雪の片付けです。屋根の雪下ろしなどは他人になかなか頼めないので、自分たちでやっちゃいます。このあたりはひと冬に降る雪の量がだいたい累積で18m。それぞれの建物を、冬の間に6回ずつ雪下ろしします。でも、雪下ろしの作業をYoutubeに上げたら、再生数が1300万回くらいになったんですよ。雪の降らない外国の方たちにすごく受けているみたいです。こういう場所では、雪下ろしなども辛い作業でなく、楽しんでできるといいと思います。

ph09.jpg

いちばん右の三階建が江戸時代建築の本館

 旅館の建物が、国の登録有形文化財に指定されているものですから、やはり残せる限りは残していくという大方針はあります。旅館って、触ったり使ったりしてもらっていい文化財なんです。文化財のなかで生活ができるんですよ。お客様には、傷や汚れに対して気を使わせてしまっているのかもしれませんが、でもそういう意識も後に残していくためには大切で、そういう所が良いとも思うんですよね。  昔の建物なので不便な部分も多いですけど、それを逆に楽しんでもらいたいです。修繕はこまめにしていて、6年前の地震をきっかけに手直しを始めたけどまだ終わらない。たぶんこれから何十年とかかる。もう一生修繕です(笑)。

ph10.jpg

長い年月を経て艶の出た廊下

源泉かけ流しの温泉が楽しめる浴室

山の景色を楽しめる露天風呂

ありのままを自然体で残していきたい

ph13.jpg

山菜やヤマメなどが並ぶ夕食

 昔は、建物が古いことで、お客様に不便をかけているのではと悩んだこともありました。登山者の方でも、前泊で朝が早い方と、後泊で朝はゆっくりしたい方と、両方いますよね。昔の部屋の作りなので、人の動きが伝わってしまうんです。お客様のなかには観光ホテルっぽいほうがいいという方もいらっしゃいますから、それで先代も、プライベート感を保てる別館を作ったんですね。
でも、最近はありのままを見ていただくのがいいかなと思うようになりました。建物も、江戸時代のものから明治、大正、平成という4つの時代のものがつながっていて、これらは百年単位で残ってきたものなので、今までの流れを大事にしたいし、イメチェンなどはあまり考えていません。

ph14.jpg

地酒各種。小谷はどぶろく特区にも認定されている

ph15.jpg

誠司さん自ら畑で育てた採れたて野菜

 今ではインターネットの口コミが普及したので、来てからイメージと違ったと仰る方も減りました。お互いが無理をせずに、その上で宿を選んでいただけたらいいなと思います。ただ、そうやって選んで来てくださった方には、精一杯おもてなししたいと思っています。
良いことも悪いこともあって、人間ですから、煩わしかったり、嫌だなと思うこともありますが、やっぱりお客さんに、また来るよとか、いいお湯でしたとか、料理美味しかったとか、一声かけてもらうと、そういうことも忘れられます。
また、もともと湯治場ですから、子どもの頃に来た方や、親子3代で通ってきてくれる方などがいます。本当に常連さんには支えてもらっているという感じがしますね。

山に囲まれた小谷は、キノコも豊富だ

ph17.jpg

干し大根を作るのは誠司さんの役割とのこと

ph18.jpg

湯治場ならではの自炊室。レトロなガスコンロが並ぶ

bottom of page